元航空自衛隊のセールスライター 河野です。
そろそろ年の瀬も近づいてきました。
そういえば自衛隊時代の今頃は
どんな感じだったかな?と
さっきふと思いました。
なので、
覚えている限りですが、
僕が自衛隊時代に
どんな年末年始を過ごしていたか
書いていきます。
僕がいた高射隊は全員が一斉に
休暇をとることはなく、
常に最低限の人数が待機任務で
残っていないといけない部隊でした。
なので、高射隊の中で
大きく2編成に分けて、
前半組と後半組に分けて
年末年始の休暇を取っていました。
先に休暇が取れる
前半組の日程は、
12月25日くらいから
1月6日くらいまでで
だいたい10日だったと思います。
ちなみに、自衛隊は
休暇の期間が結構長いです。
僕が聞いた話で一番長かったのは、
確か教育隊の小隊長だったと
思いますが、15日くらいあった
そうです。
でも、長く休みすぎて
仕事に戻った時に頭と身体の調子が
なかなか元に戻らなくて困ったと
言っていました。
今思うとかなり贅沢な話だと
思います。
でも、自衛隊時代は
「貧乏暇あり」
と言って長い休暇を
嫌がる人がいました。
僕もそんな一人だったかも
しれません(笑)
僕は当時基地内の寮に
住んでいたのですが、
そこでは、
どんな休暇の前にも
必ず大掃除をするのが決まりで、
その際は自分の居室だけでなく
普段は共同で使っている洗面所
などの清掃も寮に住んでいる
みんなでやりました。
普段は置きっぱなしの
たくさんある洗濯機も
全部動かして、
その下を掃除するくらい
徹底してやっていました。
なので、最終的には
掃除する場所が無くなるので、
奪い合うくらいの感じで(笑)
皆で掃除していたのを
懐かしく思います。
そして、その清掃が終わると
ようやく休暇に入れました。
でも先ほど書いたように、
自衛隊の休みは長くて
始まるのも、
少し世間よりも早いので、
大阪の実家に帰っても
周りはまだ誰も休みに
なっていないので、
一人で行動することが
多かったです。
それでも普段とは違う
外にいる自由があったので
それだけで喜んで
浮かれていました(笑)
とりあえず
一番うれしかったのは
基地の中で年末年始を
向かえなくて良い所でした。
一方で年末年始を
基地の中で過ごす後発組は
年末年始に何をしていたかと
言いますと、
隊舎の中のペンキ塗りを
ひたすらしていました(笑)
どういうことかと言いますと、
僕らの職種には
基地内に機材や事務室が
ある建物がありました。
その建物の室内のペンキ塗りを
残った皆んなでしていたのです。
ちなみに、
僕はこの編成の時に人生で
初めてのペンキ塗りをしました。
他にもいろいろ面白いことは
あったのですが、
自衛隊の名誉と国防に支障があると
良くないので(笑)
これだけにしておきます。
ちなみに、
この後発組の編成の時は
1月7日くらいから10日間ほど
休暇になるのですが、
その頃はすでに世間が
お正月気分も抜けているので
気分的には微妙でした。
しかし、
いろんな施設や電車などが
空いていたり、
値段が安かったりするので
良い面もありました。
さてここで、
今回の教訓ですが
それは
「地元に自衛隊の友達が帰ってきたら
温かく迎えてあげること」
です(笑)
先ほども書きましたが、
自衛隊の休みは意外と
始まりが早かったり、
期間がずれていたりして
世間のお休みと合いません。
なので、友達と会える可能性が
低いのです。
なので、もしお近くに
自衛隊の友達が帰ってきたら、
温かく迎えてあげてください。
きっと喜びますので(笑)
本日はここまで。